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現在進行中のプロジェクト「桜風」
- 2007/06/09(Sat) -
桜風~君の居た場所~

桜風・登場人物


私立女子高の日本史教師・皆川詠二。
複雑な生い立ちがありながらも、妻子と共に平凡な人生を送ってきた。
だが、ある年の春に入学した担任の生徒の中に、見覚えのある名前を見つける。
その名は「上田由菜」。彼女は亡き恋人の忘れ形見であった。
孤独な子供時代を背景にした由菜の気性の激しさと美しさに次第に惹かれていく皆川。
由菜は何度も美貌ゆえの災難に見舞われ、苦難の中で自分の生まれてきた意味を知ろうとする。
そんな由菜を執拗に追う資産家の息子・加賀雅彦。
過去に因縁のある皆川の親友・木村遼。
皆川の健気な妻・アスミ。一本気な息子・ジュン。
由菜を巡った複雑な人間関係。謎に満ちた過去。
果たして由菜の選択は?皆川の恋は一体どういう結末を迎えるのか。。




~これまでのあらすじと登場人物紹介~

目次(以下別窓で開きます)

第一章 1 (by 麻那一睡)
第一章 2 (by 奈々花 )
第一章 3 (by 麻那一睡)
第一章 4 (by 奈々花 )
第一章 5 (by 麻那一睡)
第一章 6 (by 奈々花 )
第一章 7 (by 麻那一睡)
第一章 8 (by 奈々花 )
第一章 9 (by 麻那一睡)
第一章 10 (by 奈々花 )

第二章 1 (by 麻那一睡)
第二章 2 (by 奈々花 )
第二章 3 (by 麻那一睡)
第二章 4 (by 奈々花 )
第二章 5 (by 麻那一睡)
第二章 6 (by 奈々花 )
第二章 7 (by 麻那一睡)
第二章 8 (by 奈々花 )
第二章 9 (by 麻那一睡)
第二章 10 (by 奈々花 )

第三章 1 (by 麻那一睡)
第三章 2 (by 奈々花 )
第三章 3 (by 麻那一睡)
第三章 4 (by 奈々花 )
第三章 5 (by 麻那一睡)
第三章 6 (by 奈々花 )
第三章 7 (by 麻那一睡)
第三章 8 (by 奈々花 )
第三章 9 (by 麻那一睡)
第三章 10 (by 奈々花 )

new
第四章  1 (by 麻那一睡)
第四章 2 ( by 奈々花 )
第四章  3 (by 麻那一睡)
第四章 4 ( by 奈々花 )
第四章  5 (by 麻那一睡)
第四章 6 ( by 奈々花 )
第四章  7 (by 麻那一睡)

...to be continued

現在、鋭意構想中です。
しばらくお待ちくださいませ。





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桜風 第一章  1 (by 麻那一睡)
- 2007/06/10(Sun) -




いつからだろう。
風のような気持ちで生きようと思った。
かたまりになってしまったら、動き出せないと気がついた時。
僕の中にもう何も残っていないと知って、春の夜にあの道を歩いていた。

夜の川沿いには歩いている人もまばらで、腕を組んで行き過ぎる二人連れは、そこだけ橙色に火が灯っているように見えたものだ。

桜が散っていた。
微かな風が吹き、葉は皆静かに揺れていた。
僕は白く光る花びらが雨のようにぽつりぽつりと踊る中、闇の中に浮かぶ川面に下りていった。

何も答えなど見つからなかった。
足元の道しか見えて来なかった。
僕は何も残ってないうつろさを噛みしめたまま、そこを去り、二度と行くことはなかった。



「どうしたの?」
微笑むような声に振り返ると、マンションの玄関先にアスミが立っていた。
僕はぼんやりと笑い、
「・・ああ。向こうの街道も咲いたなと思ってさ」
5階のこの外階段からは広い運動公園が見渡せる。
遊歩道の桜が匂うように並んでいる。

「夕べ雨が降ったからちょっと散ってきたかもねえ。」
アスミは手すりに身を乗り出して、額に手をかざした。
後姿は小柄な上華奢でまだ幼い感じが残っているけれど、息子のジュンと言い合いをしている時は中年女そのもののように見えることもある。
僕はアスミの軽いパーマを当てた後頭部の何本かの白髪を眺めながら、
「今日は遅くなるよ。」
と言った。





車を学校ウラのパーキングに入れて降りると、親に付き添われた新入生が列を成して校門から次々に入ってくるのが校舎の隙間から見えた。
その華やかな真新しいブルーの制服にも、僕はもうすでに感慨すら無くなった。
新卒でこの私立学校に入って12.3年経とうとしている。

僕は中年に差し掛かったさえない日本史教師。
学生の頃に知り合い、同棲して結婚したアスミとの間にはその結婚のきっかけにもなった息子のジュンがいる。
下宿に転がり込んだ僕を置いて、アスミは実家に帰ってジュンを産み、そのまま学部は中退した。
そのジュンももう高校二年。僕の勤める学校とはもちろん別の高校に通っている。



職員玄関に向かっていると、裏口から入ってきた親子が僕に近づいてきた。
古風な紺の着物を着た品の良い母親は、一瞬祖母なのかと思うほど年配であった。
「あの。。。すみません。入学式に来た者でございますが、どちらに行けばよろしいのでしょう。」
母親はそう言ってたおやかに頭を下げた。
僕はそばに立っている生徒に目をやった。


・・・え?

瞬間、僕の脳裏に何かの痛みが走った。
その痛みが何なのか、僕にはわからなかった。
女生徒はブレザーの制服がちょっとまだ大きめで、袖の中に手が半分隠れていた。
背が小さいせいもあるのだろうか。
茶色っぽい長い髪を両側に束ね、緊張した面持ちで少しだけ僕に頭を下げた。
顔を上げた時、黒い丸い眼が僕を見上げた。
緊張とは裏腹に、口元はどこか苦く笑っていて、冷徹な印象もあった。

この高校は女子高であるから、一般的に見て美しい生徒ももちろん多い。
そんなのは見慣れている僕にも、この生徒が大変美しいということはなんとなく解った。


「この校舎を向こう側に周ってすぐ生徒用玄関ですよ。」
と、僕は建物を指差しながら母親に言った。
「ありがとうございます。」
母親はまた丁寧にお辞儀してから歩き始めた。
女生徒もちょっとまた頭を下げ、母親の後を追っていった。
それを見送って反対側に歩きながら、僕は女生徒の黒い瞳を思い浮かべた。

建物を囲む高い塀沿いにも桜が並んで立っていた。
僕が来る以前から咲いてきた木々だから、きっともう何十年もこうして新入生を眺めてきたのだろう。
一本の樹はすでに老いて支えがしてある。
太く古い節の目立つその樹の根元に立ち止まって、僕はさっきの痛みは何だったのだろうかと、ふと思った。




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桜風 第一章 2 ( by 奈々花 )
- 2007/06/10(Sun) -
入学式は嫌いだといつも思う。
ここからが始まりという晴れ晴れした雰囲気と段々と成長していく我が子を眩しく見つめる母親達の嬉しそうな表情が苦手だ。
ただの妬みなのかもしれない。
そしてそれを口にすればいつも付き添ってくれる祖母を傷つけることにもなるから 私はわざと嬉しそうにする。
そんな自分も嫌いだ。

女子高を選んだのは深い意味はない。
ただ祖母はなぜか昔から男女交際に厳しく男女共学というものに異常なほど嫌悪感があるらしい。
今では各男子校も女子校もどんどん共学化してきているというのに……。
私が高校をどこにしようかと悩んでいるときに 祖母が真っ先にあげてきた高校、それがこの女子校だった。

初めて訪れたこの校庭には桜がたくさんあった。
古木と言うにはまだ早いのかもしれないが 相当に太い幹から立派な枝を伸ばす姿は ただの木というだけではない なにかを感じさせる。
薄く淡いピンクの花びらは荘厳なまでに美しく そして恐ろしかった。
じっと見ていると胸の中が落ち着かなくて私は目をそらした。

やはり入学式はありきたりなものだった。
起立、礼のかけ声に合わせて感情もないまま立ち、また座り 長々と学校長の話を聞く。
私は空っぽになっている頭の中で 今朝道を聞いた先生の事を考えていた。


初めて来た学校はどこから入ればいいのかわからなかった。
きっと何度も増築を繰り返したのだろう 難解な作りの校舎には いくつもの出入り口があったのだ。
今朝、着くなり迷った私達はしかたなく その人に道を聞いた。

どういうわけか彼は私の事を驚いたように眺めていた。
確かに制服はかなり大きめで自分でもちょっと気になってはいたのだが それだけとは思えない表情だった。
ありきたりな いかにも先生らしい人だったが 彼を見てなにか不思議な感じがした。
桜の花の恐ろしい感じのような 胸がざわざわと落ち着かない感じにて……近づきたくない近づくのが怖い そう思わせる何かを彼は持っていた。
それでも私は彼に微笑んだ。
他人にものを聞くのに無礼ではいけないといつも祖母に言われているからだ。
そして冷ややかに自分を嫌悪した。
 

廊下に張り出された紙に自分の名前を探す。
1年4組にやっと見つけ祖母と別れた。
同じ中学から来た子は誰もいない。
それはこの学校が少し家から遠いことも また女子校なのもあるのだろう。

クラスにはもうほとんどの生徒が入室していてみんなほとんどが初対面という一種の独特な雰囲気を醸し出していた。

「ねえ、電車通学?」
後ろから声をかけてきた子は同じ方角から通う いかにも人の良さそうな明るいタイプだった。
「チカって呼んで」
遠野 千佳。それが私が高校で初めてできた友達の名前だ。
「私は上田 由菜(ゆな)。由菜って呼んで」
誰も友達が出来なかったら……という不安から少し解放されて 私たちは一気に呼び捨てで呼び合えるほどに意気投合した。

やがて担任らしき人が教室に入ってきた。それは今朝道を教えてもらったあの人だった




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桜風 第一章 3 ( by 麻那一睡 )
- 2007/06/13(Wed) -
最近我ながら驚くのは、人の名前を忘れることだ。
職業柄、初めに名前と顔を覚えるのは早いが、何年かすると、相当印象に残っている生徒のことしか記憶に残ってない。
考えたら、学生時代の同級生の名前すら覚束なくなっている。

式の最中、ずらりと並んで椅子に座る生徒たちを眺めながら、僕はこの仕事に倦怠を感じて始めていると思った。
仕事を決めたのは、実際、アスミの父親のコネクションであったという理由もある。
もちろん、結婚したのも子供を持ったのも僕の意思ではあるけれども。
しかし正直なところ、アスミと暮らしていた学生の僕は、何も後先など考えてはいなかった。
ただ、日々を空ろに過ごしていただけなのだった。

校歌が流れて思考が中断した時、隣に座っていた英語の園田がこそっと話し掛けてきた。

「ねぇ皆川先生。あそこにいる子、ちょっとイケてんじゃないすか?手前から三番目の」

園田がニヤつきを抑えながら示す方を見ると、染めているらしい長い巻髪の派手な雰囲気の生徒が、退屈そうに欠伸をかみ殺していた。

この女子高は規律に厳しいことで有名なのに、たまにこういう生徒を目にするのはとても不思議である。
どんなに網の目を細かくしてもくぐり抜ける魚は居る、ということなのか。
いずれにしても、教師の中にも園田のような不届きな考えの者も当然居るわけで、蛇の道は蛇、というわけではあるが。




教室の前に来ると、入学式の後特有の、遠慮がちなざわめきが聞こえてきた。
水色の引き戸を開くと、全員が一斉に緊張してこちらを見るのが何とも初々しい。
今日だけは僕が号令で起立させて礼をさせる。
黒板に「皆川詠二」と名前を書く。
生徒たちは影では代々ゲームから取った「エッジ」というあだ名で呼んでいるらしいが、まだ入ったばかりのここの生徒は多分そんなことは知らない。

席は出席番号順に縦になっている。僕は座席票を手にして教室全体を見渡した。

「ええと、アズマカナコ」

「はい」

正面左端の生徒が手を上げながら立ち上がった。

「次、ウエダユナ」

「はい」

入れ替わりにアズマの後ろの生徒がサッと立ち上がった。

僕は名前と生徒の顔を見比べた。
朝母親と会った生徒であった。

ウエダ・・ウエダ

僕は生徒の名前は記号でしかないと考えている方だが、名前を眺めている内に不意に僕の中でまた何かが脈打った。

上田由菜。

生徒の黒い瞳が、ちょっとの間僕をじっと見つめていた。
僕は慌てて目を逸らし、次の生徒の名を呼んだ。



いつもの学校の説明や自己紹介や時間割などの事務的な知らせを終え、僕は書類をまとめて急いで教室を出た。
由菜は、斜め後ろの仲良くなったらしい遠野と言う生徒と早速話し込んでいた。
遠野と違ってあまり笑わない由菜の横顔は、どこか年齢に不似合いな落ち着きを持っていた。






「上田由菜です。K中出身です。部活は吹奏楽をやっていました。よろしくお願いします。」

由菜はそう自己紹介した。
その短い淡白な挨拶を、僕は繰り返し慎重に吟味した。
そして、早く確かめたいことがあったのだ。

職員室に戻り、僕はキー付きのロッカーの中からクラスの生徒の調査票を持ってきて、急いで上から二番目にある由菜のそれを手にした。



上田由菜

19××年4月5日生まれ。

保護者

祖父 上田正太郎
祖母 上田由利

Y市南区立K中学校卒業



そして最後に住所を確認して、僕は思わず書類を破く勢いで掴みなおした。

間違いない。
由菜の祖母は由季菜の母親だ。




僕は目を閉じて息を吐き、上を向いて熱くなった頭を冷やそうと努力したが無駄だった。




由季菜と僕が別れたのは、由菜の産まれた年の前年の夏。
由季菜が死んだと友人に聞いたのは僕が大学2年の時である。


由季菜と別れ、

翌年由菜が生まれ、

確かその年に由季菜は亡くなったのだ。


一体どういうことなのか。

僕はなんだか鳩尾(みぞおち)のあたりが押されるような、わけのわからない混乱の中に落ちていった。



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桜風 第一章 4 ( by 奈々花 )
- 2007/06/13(Wed) -
それにしても入学式の挨拶は建前のオンパレードだった。
よくぞここまで理想を並べられるなと感心さえする。

先生と呼ばれる人たちのその立派な建前の向こう側には どんな本音があるのだろう。
そういうのを暴いたらとても面白いかもしれない。

だいたい先生なんてどれも似たようなものだと思う。
大概が本音は話さない。
建前ばかりの話なんかいくら聞いても時間の無駄というものだ。

彼らはよく複雑な人間関係の問題に 簡単に「仲良くしなさい」と言う。
そんなことができるならどうして戦争が起きるのだろう。
それができるならもっと職員室は和気藹々をしていることだろう。
自分たちのいがみ合いもそのままで 生徒に簡単に仲良くと言える人間なんて誰が信用できるのだ。




だから はじめから信用しなければいいのだ。



向こうが建前でくるなら 自分も徹底的に建前に徹して接すればいい。






そしてそれは家族にも言えることだ。

うちの祖母や祖父も例外ではない。
はじめから出来そうもない建前を並べ 勝手に私の気持ちを決めつける。



「由菜さん。新しいクラスはどお?」
夕食の赤飯を茶碗につけながら祖母が尋ねてきた。

「……普通かな。ああ、今朝道を聞いた先生が担任だったの」

「まあ!奇遇ね。お優しそうな方だったわ。よかったわね」

「それから友達も出来たの。チカって言うのよ。一緒に電車に乗る約束をしたわ」
大げさに嬉しそうな顔をしてみせると 祖母は安心したように頷いた。


赤飯に塩焼きの鯛。

定番のお祝いメニューが食卓に並べられている。
私が赤飯も鯛も苦手なのは祖母が一番知っているはずなのに。
私のお祝い事なのに私が嫌がるメニューが並ぶ。
祖母には本人の喜ぶ喜ばないよりも お祝いはこうであるべきだという思いが強いのだ。

祖母のこの姿勢は全てに通じている。




部屋に戻るとやっとほっと出来る。
私はベットに倒れ込むように寝転がった。

もし、今 母が生きていたならこういう気持ちを話し合うことができたのだろうか。

自分を産んですぐ亡くなった母のことは 何もしらないし顔も全く覚えていない。
ただ時折祖母の話の端々に出てくる母は とてもおとなしくていい子だったという。

それがある日突然道を外したらしい。


きっとそのときまで母は自分を殺してきたのではないかと思う。
そしてとうとう爆発したのかもしれない。

そんな母ならこの苛立ちをきっと理解してくれたのかもしれない。

「はぁ~」
いくら考えてみても母はここにはいないのだ。

ムダムダムダ胸のなかで繰り返しながら 私はお風呂に入る準備をはじめた。







朝の通勤ラッシュはすさまじいものがあった。
祖母とタクシーで出かけた昨日とはちがい 今日は電車での初登校。
一つ前の駅から乗っているはずのチカには 結局電車を降りるまで会えなかった。


「すごい人だったね~」
チカはそんなことさえ経験できたのがうれしいのかニコニコとよく笑う。
そんなチカにいらついて 相づちをうちながらも私はどこか顔が引きつっているかもしれないと焦った。

「あれ由菜すっごく顔色悪いよ。無理ないよね。この電車にのったら気分だって悪くなるよね」

「大丈夫だから」
そう言う私の重い鞄を チカはさっと奪った。
えっと驚く私にチカはウインクする。

「持ってあげるよ」
取り返そうとする私の手をさっとかわして チカは歩き出す。
明るくてやさしいチカ。

私とは違う。

先生達やうちの祖母達が まさに理想とする女の子の見本のようだ。









教室に荷物を置いて 二人でトイレに行った。
チカより早くトイレを出た私は洗面台の前で 自分の顔を見る。
見慣れた無表情な自分の顔があった。

ふと隣で髪をなおしている子と目があった。
茶色い巻髪はファッション誌から抜け出たようにきまっている。

「あなた上田さんだっけ?」

たしか同じクラスには見かけなかったから どうして私の名前を知っているのかとても不思議だった。
だが時々びっくりするほど誰の名前も知っているような子もいたりするので 彼女もそういう人なのかもと一人で納得し また感心する。

私は クラスの自己紹介あのときでさえボーッとしていたので チカ以外の友達の名前は まだ誰も覚えていなかった。

「今日さあ、いきなり遅れそうになってさあ 髪はねてんの」
舌打ちしながら彼女は小さな容器に入ったスプレーを使って器用に髪を整える。

上手いね と器用さに感心して呟くと 彼女は「 んなことないって!」と照れながら私に小さく体当たりした。

「よかったら やったげよっか?」
私はちらっと鏡を見た。
無表情な私にはきっとどんな髪型も似合いそうにない。

「そういうのは きっと綺麗な子しか似合わないんだよ」
「まったくぅ~そう言うことをクールに言われてもねぇ。照れるじゃん」
どうやら彼女はそれを褒め言葉ととったらしい。


「マジで今度やったげるって」

「じゃいつかお願いします」
私は 時間があるときメールするという彼女とアドレスを交換した。







始業のベルが鳴ると担任が入ってきた。

今日は無地の紺のスーツに小さめのドットプリントのネクタイ。
それほど安そうにも高そうにも見えないそれだが 担任の少し品のあるように見える顔つきを引き立てて相当似合っているように見える。

まあ、毎日着てるんだからいくらスーツが似合わない人でも 段々とそれに合う顔つきになるのかもしれない。

その皆川先生は 出欠を取り終えると今日のスケジュールを説明し始めた。

「で、午後からは……」

癖なのか先生は 一言話しては 顔をあちこちに向けて生徒の動きを確認している。
質問がでたらすぐ見つけようということなのか それとも他事をしているようなら叱ろうとしているのか。

人と目を合わすのが苦手な私は 先生の顔は見ないでその教壇を掴むように置かれている手を見ていた。

気のせいか先生の視線が 何度も私に向けられているような気がしてふっと顔を上げた。



じっとこちらを見ている先生と 目が合った。


胸の中にざわざわと風が吹いた。



先生はさっと視線はずし教壇に置いてあったプリントをいきなり顔の高さまで持ち上げて読み始めた。





……なんなのだろう。


そしてこの胸にざわざわと吹き荒れるこの経験のない感情も なんなのだろう。



自分のことなのに 自分でわからない。












 
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桜風 第一章 5 ( by 麻那一睡 )
- 2007/06/16(Sat) -

同じ一年担任の同僚木村と二人で料理屋から出たのはもう11時近かった。
女将さんに見送られて靴を履いていると、園田が真っ赤な顔で追ってきて、

「皆川先生、木村先生、もう帰るんですかぁ!」

と、おぼつかない足元で寄って来た。
そして僕の耳に酒くさい息を吐きながら

「あの茶髪の子、僕のクラスでしたよ。市川みなって子!いやぁ、まいりましたよ」

などと下らないことを言って、むっつりしている木村にも何やらお愛想を言って嫌がられている。

入学式などの後のこうした飲み会ほどいやなものはない。
無礼講などと言いつつも、おちゃらけた連中が女の先生に見境無くすり寄って行く様子も見苦しい。
木村も僕もそういう席は昔から苦手だった。

店を出て、木村は

「あーあ、やっと帰れるな」

と、豪快に伸びをして笑った。

彼は僕の中学からの親友で、高校は別だったが、大学でまた同じ学部になった。
小さい頃から剣道を続けている体育会系のやつで、三年前に学部時代から付き合っていた恋人と結婚して子供向けの道場まで開いている。
酒も飲まないしタバコもやらない、武道一筋の男なのである。

つまり、園田みたいな男とは対極にある。
園田も木村にはあまり近づかないし、木村は明らかに園田を嫌っている。

木村はタクシーに乗ってからはずっと、新入生で剣道部出身の子の話をしていた。
僕は適当に相槌を打ちながら、由菜のことを思い出していた。




あれから冷静になってよく調査票を見たら、由菜の生まれた年は他の生徒より二年早いのだった。
内申書を確かめたが、どうやら小学生の時に事故に遭い、二年遅れたらしい。
道理で他の子供より落ち着いているわけである。

検診の疾病の欄に、右足の障碍と右目の損傷があり、
「通常体育科目において一定条件有り」
と、元担任の注意書きが追加してあった。
部位から推測するに、交通事故だった可能性が高いだろう。




よく考えれば、

高校二年の時、僕と由季菜が出会い
高校三年の時別れ、
僕が大学一年の時に由菜が生まれ、
由季菜が亡くなったということになる。

僕がアスミと同棲してジュンが生まれたのが由菜が生まれた二年後。




しかし、実は僕は由季菜が亡くなった本当の時期も、理由も、よく解ってはいない。
亡くなったのを知ったのは、僕がアスミに子供が出来て悩んでいた頃、木村から聞いたのだ。
木村の剣道部の仲間が教えてくれたらしい。

僕がアスミの居ない下宿でだらだら過ごしていると、ある日突然木村がやってきた。

「おい。由季菜さんが亡くなったそうだぞ」

昼寝をしていたら、防具袋を背負ったままのジャージ姿の木村が枕もとに立ってそういきなり言った。

僕はなんだかよく目が醒めていなくて、顔を上げてぼんやり木村の顔を眺めた。
酒やギャンブルで麻痺した頭に、木村の怒っているような顔の仁王立ちが、夢の続きのように感じられた。

「・・・なんだって?」

「さっきE大に行ったダチに聞いた。それがな、一年だか二年だか行方不明で、一ヶ月前くらいにD県で遺体で見つかったそうなんだ」

状況が把握できず、僕はまだぼーっと木村の紅潮した顔を見ていた。
と、木村は急に体を起こした僕を揺すった。

「おい!皆川、聞いているのか!皆川ッ!」

かすれた声で叫ぶ声が耳の中で幾度もこだました。

窓際に置かれたアスミが育てたペチュニアの花が、力無く日を浴びていた。
僕は

「夕方、花柄取ってお水をあげてね」

と、あまり期待していないような顔で微笑んでいたアスミの言葉を思い出していた。










木村はあの時のまま大人になった顔で、まだ道場の話なんかを続けていた。

僕は、由季菜が死んだわけも様子も、何も聞かなかった。
墓も知らない。
由季菜の家は厳しかったので、実家も遠くからしか見たことがなかった。
多分、僕と付き合っていることも隠していたのではないかと思う。

その翌年、僕はアスミの実家に子供とアスミを迎えに行った。

そうだ、迎えに行く前の晩、僕はあの道をひとりで歩いたのだ。
桜が咲いていた。
僕は得ようとしていたものは手に入れることはできなくて、
得ようとしなくても、時間の流れは無言で僕に背負うものを与えるのだと言うことを悟った。

長くうつろだった自分を目覚めさせるかのように、僕は川面に降りてスニーカのまま水に浸かった。
春の川は少しぬるいようにも感じたけれど、それでもそうしてじっとしていると、むごいまでの冷たさが足先から上に伝わってくるのだった。






あれから僕と木村は、由季菜の話はしていない。
ただ、木村は、アスミと結婚することを話すとひどく喜んでくれた。

今もし、由季菜の話をしたら、木村はどんな顔をするだろうか。
僕が知らない事実も、彼はすでに知っていたに違いない。

しかし、知ったところでどうなるものでもない。
僕は酒浸りであったあの頃の僕ではないし、
木村もまた、しがらみを背負った中年に差し掛かった男なのだ。


タクシーを降りて木村と別れ、家に着くとジュンが出てきた。

「おぅ」

無口な息子は、背が高いせいで僕を見下ろす形になる。
靴を脱いで振り返ると、ジュンはもう部屋に戻ろうとしていた。

「母さんは?」

「寝た」

ドアを閉める音がして、部屋の中からかすかにゲームの電子音が聞こえた。
ちょっとタバコの臭いがした。


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桜風 第一章 6 ( by 奈々花 )
- 2007/06/16(Sat) -

スカートのポケットから足に振動が伝わってきた。
マナーモードの携帯をそっと取り出し 机の下に隠す。
あのトイレで話した茶髪のみなからのメールだった。


【園田先生にさそわれちゃった。
 一人で行くのは危険だから
 おねがい一緒に行って!】


そもそも 誘われたことを喜んでいるのだ。
一人で行って危険な目に遭うのを期待しているように思えるのだが 一緒に行ってと頼んでくるとはよほど何か心配な要因でもあるのだろうか。

それに何故それを私に頼んでくるのかが不思議だった。

それでも私は 遅くならないのなら と返事を返した。




 

今日から本格的に授業がはじまった。
各教科ごとにほとんど初対面の先生がやってきたが どの先生も皆川先生ほどスーツが似合うとは思えなかった。
どうして皆川先生と比べてしまうのかは 自分でもわからない。

英語はあの園田という先生だった。
これがみながメールで言っていた園田先生なのかと注意深く見たが 私には特に魅力があるとは思えなかった。
20代後半から30代初めなのだろうか。
濃いめの顔立ちやニヤニヤと生徒達を眺める様子が なんだかいやらしく思えた。



お昼にはチカとお弁当を食べた。
学食もあるにはあるのだが 混み合うことを思うと行く気はしなかった。

チカが持ってきたお弁当は彩り豊かで可愛くてとても美味しそうだった。
私のは祖母が作ったおかずを適当に自分で詰めたものなので 味はともかくあまり美味しそうには見えない。

「すごいね。チカの。美味しそう」

「でしょ~~。自分で作ったのよ」

どうせチカのような子には やさしい母親が作ってくれているんだと思いこんでいた私はその言葉に驚いた。

「うちね お父さんが再婚してるからさ。お母さんは義理のお母さんなんだ。まだ産まれたばかりの赤ちゃんがいて忙しいから お弁当は自分で作ることにしたの」

チカのような明るい子は何も悩みのない家庭なんだろうと 勝手に想像していた私は言葉をなくした。

「いやだなあ。そんなに深刻な顔しないでよ」

チカは明るく笑って お弁当の中のタコさんウインナーをポンと私の殺風景な弁当箱に入れた。

「ほら これでとっても美味しそうに見えるでしょ?」

赤いものを一つ入れただけで ずいぶん印象が違うものだなと感心して自分の弁当箱を覗きこむ。

タコさんウインナーは無邪気に笑っているように見えた。





やっと授業が終ると 短い学級連絡がある。
その為にあらわれた皆川先生は 今日はストライプのネクタイをしていた。
相変らずすっきりとした着こなしに好感が持てた。

園田先生よりは数倍感じがいいと思う。
その感じ悪い園田先生に 後でまた会う事を思うと 少し気が滅入ったがちょっと顔を出せば みなの気もすむにちがいない。

危なくないとわかれば 私はすぐにみなを置いて帰ればいいのだ。



チカは 今日は気になっている部活を見学に行くと言っていた。
私はブラスバンドを続けたいと思っているので 見学する必要もないし まだ本決定までには時間があるから 今日はすぐに帰っても問題はない。





昇降口の前にある水道は蛇口を大きく捻っても ちょろちょろと水が出るだけだった。

みなとここで待ち合わせをしているので 他の水道に行くわけにはいかないが どうしても今 水が飲みたくなった。


流水口を裏返して口を近づけ更に蛇口をまわしたら 今度はいきなりあり得ないほどの水流で水が飛び出した。

びしょぬれになって呆然としている私に歩いてきた誰かが立ち止まる。
私は人よりは見えにくい目で目を凝らした。

「みな?」

そう問うと その人はとまどうような声で いいやと小さく否定した。

「あ、皆川先生……」

「あ~あ びしょぬれだね」

少しからかいの混じった口調で 彼は自分のハンカチを差し出してくれた。
自分のハンカチはポケットにあったが 折角出された物を断るのも悪い気がして頷きながらそれを手にした。

よく見ると 真っ白なカッターシャツの胸元が水に濡れ 中に着ていた水色のブラジャーが思いっきり透けて見えた。
急に恥ずかしくなって横にかけて置いたジャケットを急いで羽織った。

「みな……って、もしかしてあの 市川みなさん?」

「あ、はい。待ち合わせしてたので」

皆川先生は一瞬怪訝な顔をして私を見たが それも一瞬で 困ったようにぬれたシャツから目を逸らした。
もしかして意識されたのか そう思うと急に心臓がバクバクして 自分でも顔が赤らんだのがわかった。
 
「前からの知り合い?」

「いえ、この高校で会ったばかりなんですけど」

「ふうん」

皆川先生はわからないといったふうに首を振りながらため息をついた。

「で、どこか行くの?」

沈黙が流れる。


いつもの私なら一緒に参考書を買いに行くだの 図書館に行くだの 口からいくらでも模範解答を言えるのに 今日に限ってはどういうことなのか 嘘を言う気にはなれなかった。

それは相手が皆川先生だったからかもしれない。

そしてこの先生がどう答えてくれるのか興味があったのかもしれない。

「みなが ある人に誘われてて 危険かもしれないから一緒に来てと……」

ポツポツと答えながら私は向こうに 駆けてくるみなを見つけて口ごもった。

先生は目を見開いて何か言いたそうにしている。

「じゃ みなが来たので……このハンカチ 後で返しますね」

私は皆川先生の視線から 逃げるように走り出した。

「ごめん。おそくなっちゃって」

みなの声が静かな中庭に響いた。








準備をするために寄ったデパートから 私は祖母に連絡を入れる。

「もしもし あ、私 由菜です。今日部活の説明会があるから ちょっと遅くなります」

ケータイから聞えた祖母の声は 別に怪しむわけでもなく当たり前に ああそうと言い、それなら夕飯を先に済ませて寝ているからと答えた。


「さっきね ゆなも来るってメールしたら もう一人連れてくるって」

みなはうれしそうにはしゃいでいる。

それではみなの危険な時を いったいどう助ければいいのか私にはわからない。
いったいそれじゃあ何の為に私を呼んだの?と聞きたいところだったが うれしそうなみなに水を差すのもためらわれ私はふうんとうなずいた。


デパートの化粧室の洗面台は トイレの隣のスペースではあるが それ自体にしきりがあり まさにそこが化粧室であると頷かせるものがある。

「これこれ。これをやったげるって約束したじゃん」

みなの大きな鞄からは 数々のヘアケア用品が次々と出てくる。
並べられた魔法の道具で みなは魔法の美容師のように 真面目な髪型を あっという間に流行のスタイルに仕上げた。

「いいじゃん!すっごいいい!これから毎日こうした方がいい」

私は それは無理だと苦笑した。

更にみなは化粧道具を取り出して 最新のメイクで飾ってくれた。

「うわぁ。元が良すぎじゃん。これは化けるね」

とても高校生には見えない顔が鏡の向こうにあった。

「でさ、制服ってポイント高いけど 濡れちゃってるし……これ着な?」

ここまできたらなんだかどうでもよくなって 素直にそれに着替えた。
かなり露出の多い服だが この化粧と髪型にはぴったりなじんでいる。
ふと見るといつの間に着替えたのか みなも同じような服にかわっていた。

「よおし!」

みなはその腕を私の肩に回し 二人並んだ姿を鏡に映す。

「なんか双子か姉妹みたいじゃん?いい感じ!」

はしゃぐみなを隣に なんだか漠然とした不安が胸によぎる。

別にたいしたことにはなりはしないだろう。
何と言っても園田は学校の先生なんだしと思う。
なんだか気のりはしないが ここまできたら行くしかない。


私はみなと一緒に待ち合わせの店に向った。




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桜風 第一章 7 ( by 麻那 一睡 )
- 2007/06/19(Tue) -
 



眠れない。

アスミが気持ちよさげに眠っている隣のベッドに入ったはいいが、どうにも眠れないのだ。
僕は起き上がってリビングに行き、暗いまま隅のデスクの上のPCの電源を入れた。
ほの明るい光が広がって、大して広くも無いリビングの調度品が青くぼんやりと浮かび上がった。

正月の同窓会で配られた同報メールを探して開く。
同窓会名簿と言っても、ご時世で昔のように住所氏名は載っていなくて、居住地は市町村まで、連絡先はメールアドレスになっている。
たまに全部載せている人間もいるが、そんなのに限って何やらの宣伝臭がする。
メールアドレスもよく見ると、大抵は簡単に変えられる携帯アドレスやフリーアドレス、良くてソーシャルネットのIDだ。

最初も見たが、由季菜の名は最後の数少ない物故者の欄にある。
次にクラスの自分の名前をなんとなく確かめる。
女子の欄から、山路蘭子の名前を拾った。
山路は由季菜と同じコーラス部に入っていたはずであった。
会の当日、二次会でたまたま隣に座った。
彼女は音大に進み、独身のままやはり市内の中学で音楽教師をしていた。
僕はその時、なんだか気合の入った格好と化粧に驚いたのと、高校当時はろくに話したことも無かったのに馴れ馴れしい口調で話し掛けられることに鬱陶しさだけを感じた。
が、このことで気安く聞けるのは、少なくてもこの名簿の中では、山路しかいないだろうと僕は思った。

部屋のテーブルの上に投げ出してあった携帯を手にとり、僕は山路のアドレスを打った。

「同窓会では世話になりました。お時間ある時に電話ください 090-***-***」

デスクトップの時計は12時過ぎを指していた。さすがに今夜は無理だろう。
そう思いながらPCを落として立ち上がると、メール音が鳴った。見ると山路が速攻で返信してきたのであった。

「おひさしぶり!ちょうど今寝るところだったけど、これからかけまーす!」

何か勘違いしたような元気の良さに困惑を覚えたが、仕方が無い。
間髪を置かず、すぐに電話はかかってきた。

「もしもし」
「皆川君、こんばんは~!」
「こんばんは。夜分申し訳ない」
「いいのいいの!ひまなんだし」

山路の声は酔っているのか高いトーンで、耳に刺ささってくる。
僕は早く用件を済ませたかった。

「ありがとう。実は聞きたいことがあってね。」
「・・・え?どんなこと?」

山路は急に勢いを失って期待と不安が滲む素の声になっていた。

「いや、ちょっとコーラス部で知った人がいたので消息を聞こうと思ったんだけどね。
今見たら、物故者の欄に名前があってさ。驚いてね。この間は欠席したと思ってたから。」

と、僕はでまかせを言った。

「・・・ああ」

山路はさすがに寂しげな様子になる。

「上田さんのことね。」
「塾で一緒だったことがあってね。よく世話になったから。亡くなったんだね」
「隠さなくていいわよ。付き合ってたでしょ?あなたたち」
「・・・」
「知っていたのあたしだけかもしれないけど。。結構気が合ってね、仲良しだったのよ。
でも家族に知られるといけないって、きつく口止めされてたの」
「病気だったの?」
「自殺。木村君に聞いてないの?」

僕は冷静を装ったが、山路の冷酷な言葉の響きに胸が締め付けられる気がした。

「木村は亡くなったことしか僕に話してないよ。
僕も聞かなかったし。何があったか君は知ってるの?」
「うーん・・・もう本人は昔に亡くなってるしねえ。。
話してもいいかもしれないわね。」

山路はもったいをつけるように言う。僕はイラついてきた。

「明日でもどこかで会わない?」
「残念だが、仕事が忙しくてね。申し訳ない」
「新学期だものね。。。わかった。私が知ってることを話すわ」
「うん」

僕は携帯を握り直した。

「彼女が妊娠していたのは知ってると思うけど、産む前から精神的にちょっと危なくなってしまったの。
受かった音大には休学届け出してあったんだけど、結局子供の世話もあって通学はできなかったみたい。
妊娠が親に知られてから、D市のお母さんの実家に預けられちゃってね。一度お祝いに行ったんだけど。
でも会ってももう昔の彼女じゃなかったわ。顔色悪くて、その時もうきっとどこか病気だったのかも。。かわいそうだったわ」
「結婚はしてなかったの?」
「えっ?」
「旦那さんは?」
「・・・」
「え?」

山路は突然涙ぐんだように声を詰まらせた。

「皆川君・・本当に何も知らなかったのね。
その分だと妊娠してたことも知らなかったとか?
由季菜はね、三年の時部活のOBの何人かに・・乱暴されたのよ。」


一瞬、僕の息が止まった。

「多分精神的におかしくなったのもそのせいなんだと思う・・・
訴えた方がいいって私は何度も言ったんだけど、親御さんが・・さらし者になるって嫌がってたらしいの。
私はその後のことは詳しく知らなかったんだけど、乱暴したひとりには長いことストーカみたいなことされていて、すごく悩んでたみたい。。大学は推薦が決まってたんで、それからはあまり学校にも来なくなったわ。
結局皆川君とも別れてしまってたのよね。。かわいそうに」


「その子供は。。誰の子供だったの」

少しの沈黙の後、僕は上ずった声でやっと聞いた。

「それが・・結局由季菜は誰にも言わなかったみたい。
なにせかなりお腹が大きくなるまで親に隠してたみたいで。
私もD市に行っちゃうまで妊娠のことは知らなかったのよ。
でも父親の名前は私も最後まで聞けなかった。。もし乱暴されてできたのなら・・」

山路は嗚咽した。

「皆川君の子なら良かったと思う。。
でも今さらそんなこと確かめるのも意味ないでしょう?」
「・・・・」
「由季菜はね、本当に皆川君が好きだったんだと思う。
汚れた自分は皆川君に愛される資格無いって思ったのかもしれない。。
私はきちんと話して、皆川君をブッチしたりするのはやめた方がいいと言ったんだけど。
由季菜は事件があってから私にもあまり本音は言ってくれなくて。
自然に離れてしまったわ。
皆川君は木村君と仲が良いから、えみちゃん経由で全部知ってると思ってたのに・・・」



山路は酔っているせいなのか、尚も何かしゃべり続けていたが、僕はもう聞くに堪えず、適当なことを言って急いで電話を切ってしまった。






僕は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、一口飲んだ。
ソファーに腰を下ろし、暗い中でじっとしていた。
僕の中のきれいなものや汚いものが、なんだか外の力でめちゃくちゃに掻き回されているような気分がして、吐き気を憶えた。
由季菜が最後にくれた手書きの短い手紙を思い出そうとした。
ある日を境に、あれほど純粋に僕を思い、気遣ってくれた由季菜は僕を避けるようになった。
目すら合わせてはくれなかった。
僕を深い深い孤独から救い上げてくれたと思ったのは、勘違いだったのかと思ったほどだった。
若い女によくある、簡単な心変わりだったのかと若い僕は憤り、荒れた。
由季菜の白く温かい肌に触れた僅かな記憶を執拗に辿り、僕は何度も泣きながら自慰をした。
よく休むようになったと聞き、一度彼女の家の近くまで行ったが、会うことはできなかった。

最後に由季菜を見たのは、いつだったろう・・



「オヤジ」

はっとして顔を上げると、ジュンがいきなり天井の灯りをつけた。

「珍しいな。こんなとこで寝たらだめだろ」

ジュンは呆れたような顔をしていた。

「うむ」

僕はぼんやり返事をして、ゆっくり立ち上がった。



寝室に戻ろうとすると、ジュンの声が追ってきた。

「オヤジ。俺・・高校辞めていいかな」

振り返ると、珍しく緊張した面持ちですぐ後ろに立っている。

「なんだ。何かあったのか」

「まぁね。」

「辞めてどうするんだ」

「アパート借りて暮らす。」

「ほう」

「許してくれるのか」

「まあ。。考えとくよ」

ジュンはちょっと黙って何か考えていたが、思い切ったように


「俺。好きな子いるんだ。そいつを幸せにしたい。結婚したい」

僕はジュンの深刻な顔を思わず眺めた。

リビングの灯りを背負って立つ息子の大きな体が、影になって迫ってくるような気がした。
















翌日、我ながら怠惰と思いつつも、授業は資料説明の動画とPCの検索の仕方の実習で終えた。
生徒たちの中には、ぼちぼち友人も増えてきたのか、こっそりメール打ちを始める者も居た。
僕は見飽きた動画を教室の後ろに立って見てるふりをしながら、夕べのことを考えていた。
どうしようもない打撃の痕は残っていたが、それに振り回されてウツになるほど僕はそうヤワでもないようであった。忙しすぎるせいか?家庭のせいなのか?年齢のせいなのか?僕にはわからない。

やっと打ち合わせも終わって顧問をしている部活に顔を出そうと歩いていたら、閑散とした昇降口の方で何か妙な音がした。
角を曲がって向かってみると、生徒が一人、蛇口の向きでも間違えたのか、水をかぶってうなだれていた。
思わずちょっと笑ってしまいそうになったが、かわいそうになって僕は近づいていった。
生徒はうなだれた水浸しになった頭のまま、こちらを髪の間からのぞくように見た。
目をしばたたかさせている。
そして

「みな?」

と聞いてきた。

良く見ると、由菜だった。
僕は急にまた夕べの話を思い出し、鳩尾が苦しくなった。
が、そんなことは由菜には解るはずもない。
由菜は目をこすりながら僕の顔をまじまじと眺めている。

僕は障碍の欄を思い出した。
そういえば、出席番号順の席はたまたま前だったが、片目が不自由なことは他の教師にも申し送りすべきだったなと考えた。
日頃はそうでもないらしいが、こうして薄暗い場所だと見えにくいのかもしれない。

「あ・・皆川先生」

由菜はちょっと驚いたように黒い丸い目をますます丸くした。
僕は愛らしいと思い、微笑んだ。

「あ~あ、びしょぬれだね」

ハンカチを取り出して渡すと、由菜は急いで頭を下げて受け取った。
体を起こすと、水がみるみる服にしみ込んで、下着の青っぽい色が滲んで見えた。
僕は急いで目を逸らした。
由菜も気づいたのか、あわてて置いてあったジャケットを羽織った。


「みなって、市川みなさん?」

気になっていたことを聞いてみた。
由菜と市川みなはクラスも違うし接点が無い。
第一、お互い最も関わりのなさそうな相手である。


「あ、はい。待ち合わせしてたので」

由菜はさっきのことがまだ恥ずかしいのか、少し顔を赤くしていた。

「前からの知り合い?」

「いえ、この高校で会ったばかりなんですけど」

「ふうん」

僕はなんだか嫌な気持ちになった。
あんな娘と付き合うとろくなことが無いと思った。
どうせ役員のコネででも入った生徒に違いないのだ。
でも由菜にそんなことを言う権利は僕にはない。

権利?

自分の考えに何故か卑怯なものを感じて、僕は混乱した。

「で、どこか行くの?」

僕はごまかすように聞いた。
由菜は黙って何か考えていた。


「みなが ある人に誘われてて 危険かもしれないから一緒に来てと……」

途端に、いやな感じが胸に湧いてきた。
これは止めるべきだと僕は思い、どう止めたものかと急いで言葉を捜した。

と、その時背後から軽い足音が響いた。

「じゃ みなが来たので……このハンカチ 後で返しますね」

由菜は少し俯いて僕にまた頭を下げ、足音の方に駆け出して行った。
そちらの方に手を振っている。
振り向くと、みなと由菜が並んで歩き去ろうとしていた。

「ごめん。おそくなっちゃって」

と、みなは弾けるように笑い、

「なに由菜ちゃんそのカッコウ!どうしたの~!」

なんて叫んでいた。

ふたりが肩を寄せて昇降口から去っていく姿を見送りながら、僕はすぐにまだ校内に居るはずの園田を探そうと思った。




急いで職員の更衣室に行くと、案の定園田はテニス部に顔を出していたらしく、ジャージから着替えているところであった。
僕を見ると、園田はにっこり笑い、

「お!皆川先生。先生も見回りですか」

と、焼けたような黒い少しは締まっている体にシャツを着ながら言った。

「テニス部、今年もかわいい子多くてねぇ。」

嬉しそうに話すにやついた顔に、僕は無性に腹が立ってきた。

「市川って生徒も入ったんですか」

「ああ、あの子ね!昨日来てたけど、初めてらしいけどなかなか筋がいいですねえ」

「まさか誘ったりしてませんよね」

園田は一瞬ギョッとして僕を見たが、すぐに笑顔に戻り、

「やだなあ皆川先生。さすがにそれはないですよ。当たり前でしょう!
かわいい子を見つけて大人になっていくのを眺めて楽しむ父親の心ですよ!
僕も教育者ですからねえ」

僕はもっと何か言おうとしたが、園田はあわてて靴を履き、

「じゃあ僕今日はそろそろ帰るんで!お疲れさま!」

と言い残し、さっさと部屋を出て行った。



「父親の心だって?」

腹の中に妙な怒りが渦を巻いた。

僕は廊下に出て園田の銀色のインプレッサが外を走り去るのを確かめ、職員室に戻って名簿を取り出した。
昨日提出させた全員のメールアドレスと携帯番号が載っている。
それをコピーして、折りたたんで鞄にしまった。








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桜風 第一章 8 ( by 奈々花 )
- 2007/06/20(Wed) -
ここが待ち合わせの場所だと みなが立ち止まったのは 小さな洒落たフランス料理の店だった。
いかにも夢がある造りの出窓には 青い透明なガラスの花びんに溢れんばかりのバラが咲き誇っている。
窓の外には 夕焼けのなごりと浸食してくる夜が混じり合っていた。 
その窓際の席に 園田ともう一人の男が座っている。

園田はみなを見つけると うれしそうに手招きした。
相変らずそのにやにやとした笑顔がいやらしく思える。
もう一人の男は園田のようにいやらしさはないが なんだかツンとすかした感じがした。

「えっとこっちは大学で同じテニスサークルだった加賀」
園田に紹介されると 加賀は口の端を少しだけ上げ 申し訳程度に頭を動かした。

「園田 今日は今までで最高レベルだな」
加賀はわざと聞えるように 園田に耳打ちする。
「だろぉ~?」
語尾を上げてうれしそうな園田は どこから見ても教師には思えない。

「上田さん……じゃあ…かたいな。由菜ちゃんだ。うん。由菜ちゃん。今日の授業中見た由菜ちゃんからは 想像できない姿だなぁ。いやあ女の子は怖いっ!」
私は園田の舐めるような視線を感じて 身を縮ませる。

「でしょでしょ?みなが頑張って美しくしたもん!」
満足そうにみなに言われると どうしていいかわからなくなり 私は俯いた。

あらかじめ頼まれてあったのか すぐに料理が運ばれてくると 話は昨日みなが行ったというテニス部の体験入部の話に移り やがてそれは園田と加賀の大学テニスの話となった。
怖い先輩にされたしごきの話に みなは大受けし 静かな店にその笑い声が響く。
僅かだが他にも客がいて 静かな雰囲気を楽しむ中で その度の過ぎた賑やかさが私を落ち着かなくさせた。
知らぬ間に不機嫌な顔をしていたのかもしれない。

「由菜ちゃんは テニス部じゃないの?」
いきなり加賀に聞かれて返答に困った。

「あ、私はブラスバンドにしようと思ってるんで」
「やればいいのに テニス。面白いよ」

押しつけがましいいい方にカチンときた。
どこにでもいるのだ。こういう自分が思うこと、する事こそ最高で正しいと思いこんでいる人は。

「君にならいくらでも教えてあげるよ。まあ園田よりは上手いという自信はあるし」
言いきった加賀に園田が反論しようと口を開き また大きな笑い声が上がる。

フロアに立つ店の人に困った顔で見られ 私は更にやりきれない気分になった。

加賀がフッと笑った。

「由菜ちゃんは いい子ちゃんだね。そんなに他人が気になるの?」
気になるというのではない。
ただ最低限のマナーを守れていないこの集団に 自分が含まれているのが酷く恥ずかしく思えるだけだ。
どう反論しようかと加賀を見ると 加賀は嘲るような目で私を見ていた。

「そんなんじゃありません。ただ……」
ただ マナーは守りたいと言おうとしたが それを言えば大声で笑っていたみなが気にするだろうかと そこから先の言葉を呑み込む。

「ちょとお 加賀さん。由菜ちゃんをいじめないでくださいよぉ」
園田との話に夢中になっていたみなが 私のムキになった声を聞き 加賀に笑いかけた。

「いじめてなんかないよ 可愛い子を見るとからかいたくなるってやつだよ」
「も、やだぁ~」
由菜ちゃん かわいいだって どうする~。みなは私の耳元でささやき つんつんと肩をつついてくる。
私はなんだか加賀が腹立たしかった。


デザートを食べ終え園田が会計を終える横で 私は生徒手帳に挟んである一万円札を探した。
もしもの時のためにいつも生徒手帳にお札をはさんであるのだ。
おごって貰ういわれがないから 自分の分は自分で払いたい。

「何探してるの?由菜ちゃん。まさか割り勘と思った?僕のおごりだから気にしなくていいよ」
園田は探し出した一万円札を手にしていた私に その手で制して見せる。

「でも……」

「由菜ちゃん。おごらしてやりなよ。園田は格好つけたいんだからさ」
うしろから加賀が言う。

「だけど それじゃあ……」

「いいって。じゃあさぁ、かわりにまた加賀と逢ってやってよ」
園田は加賀の方を面白そうに見ながらそう言った。

どうしてそういう話になるのだろう。
加賀とまた会う気なんて私には全くない。
ここで何か言わなくては流されそうになると 口を開きかけたとき みなが言った。
 
「ねえねえ。カラオケ行こっ!みな歌いた~い!」


みなお勧めのカラオケ店に入った私たちは そこでみなと園田の熱唱をしばらく聞いていた。
歌は好きだが 人前で歌うのには抵抗がある私は 友達とカラオケに来ても聞いていることが多かった。
加賀もそうなのか おもしろそうに みなと園田を見ていた。

「じゃあここからは 俺がみなを送ってくから」
一時間ほど経った後 あたりまえのように園田が言い みなは立ち上がって私にウインクした。

「みな 大丈夫なの?」
危険かもしれないと心配していたのが嘘のようなみなの明るさに 私は思わず尋ねる。

「えっ?あ……大丈夫……みたいだから……ありがと由菜ちゃん……由菜ちゃんは加賀さんに送ってもらってね」
しどろもどろに答えるみなに 何か違和感を感じる。

「ああ ちゃんと送ってくよ」
唖然とする私の後ろから 加賀が答えた。



なんだか流されて 加賀の大きな車、レンジローバーの助手席に乗った私は 別れ際に見た園田のいやらしい顔を思い出し まだみなのことを心配していた。

「あの、加賀さん。まさか みなと園田先生って……」
心配を口に出し 加賀に園田の人となりを尋ねようとも思ったが その先をどう言葉にしていいのかわからなくる。

「いいんじゃないの?お互い惚れてるみたいだし」
私が呑み込んだ言葉を理解したらしい加賀は 平然とそう言い放った。
加賀に子供だとバカにされたような気がして 私は反論する。

「だけど みなは危険かも知れないから 私についてきてって言ってたくらいで」
加賀は突然大笑いをはじめた。

「なに?そう言われて今日来たんだ。すっごいなぁ みなちゃんの手腕は」
「どういうことですか?」
加賀はまだおかしくて仕方ないというように笑っている。

「う~ん。まあ種明かしするとね。まず僕は今は彼女がいないんだ」
「どういう関係があるんですか?それが」
「えっ?う~ん」

加賀は信号待ちをしながら しばらく何か考えるように ハンドルを指先でコツコツと叩いていたが ふっと一息吐き出してから話だした。

「今日ね 園田に会おうとメールしたら 今日はおとしたい子と会うからダメだっていうからさ。だから……だったらついでに 僕にも綺麗な子を紹介しろよと言ったんだよ」
しばらくは 加賀の言う意味がわからなかった。

「じゃ、危険かも知れないから来てっていうのは……」

「ああ。そういうこと。 園田が誰かもう一人連れてこいって みなちゃんに頼んだんだろ」

「……そんな」

みなに悪気はないのだろう。
むしろその嘘は 彼女的な親切なのかもしれない。
そんな裏のある話だったとは思いつきもしなかった。
疑わずついてきた自分のバカさに 自分で腹が立つ。
私はぎゅっと唇を噛んで外を見た。
私の家に向っているはずの車は まだ繁華街を走っていた。
さながら宝石箱の中のような 美しいネオンが煌めいている。

急に今日は話した皆川先生の顔が浮かんだ。
あのとき先生は なにか言いかけていた。
逃げるように来てしまったが 何を言おうとしていたのだろう。
もしかしたら今 私の事をほんの少しでも心配してくれているだろうか。

そんなはずはないか。
思い上がりだと自分で笑って また外を見る。

なんだか急に抗えない眠気に襲われた。
家では9時に寝てしまう祖母に合わせ 私も早めに自室で消灯はするが 実際は1時過ぎまで本を読んだり勉強したりしているのが常だ。
それでもこんなに強い眠気を感じたことなどない。
ここで寝てはいけないと目を開けていようとするが すぐに眠りそうになってしまう。
起きていなければ加賀に自宅までの道を 教えることもできないのに。

「おや?いい子ちゃんはおねむの時間かな?」
加賀が ハンドルを握ったままで私を見る。
加賀が浮かべた冷たい笑顔に私は凍り付いた。

そのとき 起きなければと必死で首を振る私のポケットで 着信にしてある メリーさんの羊が流れた。

電話だ。
誰かから電話がかかってきているのだ。

このケータイは高校になってから初めて持つのを許されたものだ。
何かにつけて厳しい祖母は ほとんどの子がも持っているにもかかわらず ケータイを持つことを許してはくれなかった。
テレビや新聞で評論家達が その危険性を説いているのをきいたのかも知れない。
どんなに懇願しても否と言い続けた祖母が 急にこれを許したのは 遠い通学の途中でも私のいる場所を確認できるからに他ならない。
祖母の勝手な理屈には呆れるが それを手にできることは 単純にうれしかった。

だからこの番号とアドレスを知っているのは まだ極数人に限られている。
チカとみな。そして祖母。
それから連絡網を作るからと クラスで集めた紙に書いた。
そしてそれを持っているのは皆川先生だ。 

私は空白におちそうになる頭を振りながら 発信元を確認した。

それは登録のない番号から来ていた。





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桜風 第一章 9 ( by 麻那 一睡 )
- 2007/06/24(Sun) -


すっかり実家に顔を出さなくなって、何年経ったろうか。
母親が中学の時に死んだ時、単身赴任という大義名分でほとんど不在だった父親が戻ってきた。
そして、一ヶ月も経たない内に、一人の女を家に連れてきた。
赴任先で同居していた女だった。

父は平凡で真面目な男だった。
母親が何故父と女を好きなようにさせていたのかは、僕にはわからない。
父の妻になった悦子という女は、僕に気を遣ってくれたし、優しくもしてくれた。
だが、気難しい年齢に差し掛かっていた僕が彼女に親しむことはついに無かった。
彼女は母親の墓前にも通ったし、仏壇には線香を絶やさなかった。

後妻さんは僕を「詠君」と呼んだ。
僕はとうに忘れていた幼い頃のその呼び名を聞く度嫌な気分になったものだ。

悦子は母の妹であった。



僕は正直、親のことなんかどうでも良かった。
昔から普通に平和に母親と暮らしていたし、特に辛いと思うこともなかった。
悦子にはすでに子供が居た。
その後も一人産まれたけれど、僕は適度に仲良くしていたし、可愛がってもいた。手伝いもした。
悦子は僕が父と悦子を恨んでいると思い込んでいるようであった。
赤ん坊をあやす僕を、どこか不安そうに微笑みながら眺めていた。

生い立ちが一般的ではないから、苦悩して哲学者みたいなやつになるというわけでもないし、
同情されそうな身の上話などして受けたいと思うほど甘ったれでもない。
誰が一般的な家庭だと決めるのだろうか?
僕は僕の生活を営むだけだ、と僕は考えていた。
親に依存もしなければ、必要以上に歯向かうこともない。

実際、不幸そうな身の上だとしても、何も不幸そうな顔をして生きることもあるまい。
現実に、毎年想像しがたいような気の毒な環境の生徒もいるが、大抵は真面目に極普通に生活している。
人は思うほど弱くは無いのだ。

ただ僕は洗濯も掃除も自分でやったし、食事を作ってもらって小遣いを貰う以外、親の世話にはならないようにした。それが彼らに対する礼儀だと思ったからだ。
結果的に、遠くの高校に進んで寄宿して家を離れたけれど、それとても実にありふれたことではないか。



アスミは、僕は感情を出さないと言う。
そうかもしれない。
僕は人前では常に冷静にふるまうことが美徳と考えている。他人は知らない。




しかしたったひとり、由季菜だけは違った。

「皆川君て、よく笑うのね。」
「また怒るの?」

由季菜は、黒い瞳をまんまるにして、僕の顔をのぞきこんでそう言ったものである。
あの時の僕は、本当の僕だったのだろうか。

由季菜と離れ、笑っても泣いているような気分のまま、僕は大人になり、こうしてつまらない男になった。






車をマンションのパーキングに入れ、僕は運転席に座ったまま鞄の中からコピーを取り出した。
生徒たちの番号の上から二番目に、上田由菜の名があった。
几帳面な女らしい字に、僕は由季菜の手紙をふと思い起こした。

携帯を取り出し、番号を打つ。

が、途中で止めた。



一生徒の携帯にいきなりかけるなど、園田と同じではないか。

僕はコピーを折りたたみ、鞄の中に戻した。





帰ると、アスミはひとりでリビングに座り、刺繍をしていた。
妻は手仕事が得意で、ジュンが就学後に父親に学資を頼んで洋裁やらデザインやらを習いに通った。
今は刺繍が本業のようになり、マンションの集会室で近所の奥さんたち相手に教えていることもあるらしい。
学業を中途のまま母親になったアスミには、今が多分一番楽しい時なのかもしれない。

アスミはバイトに言っているジュンのことを愚痴りながら、夕飯の支度を始めた。
僕は着替えて、リビングのPCの前に座り、持ち帰ったコピーをスキャンして取り込んだ。

画面を見ながら、僕はやはり由菜の名前に目が行った。




「みなが ある人に誘われてて 危険かもしれないから一緒に来てと……」


由菜は確かにそう言った。

思い起こすと、もっと何か言いたいような目をしていた気もする。



園田に電話してみるべきか?
いや、園田が今、由菜と一緒にいるという確信は無い。

しかし、もしみなと由菜が園田と共に居るとして。
園田なら、由菜が勝手に付いてきたと思って帰してしまったかもしれない。
由菜は園田の食指をそそるような生徒ではないからだ。

考えてみれば、みなは他クラスの生徒であり、園田はみなが入るらしいテニス部の顧問である。
言い訳はなんとでもつく。
問題なのは、由菜である。
彼女は僕のクラスの生徒なのだ。
その監督に関しては、僕は権限もあれば義務もある。

それは、なんだか我ながら弁解に近いものを感じる論理でもあった。



「本当のことが知りたい」


突然、僕の中に静かな台詞が浮かんだ。

本当のこと?





山路の話を聞いてから、僕には故意に避けていたことがひとつあった。
普段の僕のまま、怒りや憎しみは湧かないように自分を仕向けたのだ。
それは、どうにもならない昔の事実への怒りを撒き散らして一体どうしようと言うのか、という諦観でもあった。
怒りに呑まれたくない。
憎しみに燃えたくない。
そんなのは、意味の無いことなのだ。



「かわいい子を見つけて大人になっていくのを眺めて楽しむ父親の心ですよ!」

園田のテカついた笑い顔が目に浮かんだ。



僕は立ち上がった。



Tシャツの上に薄物を羽織って僕はコピーを後ろポケットに突っ込んだ。

アスミはびっくりして、

「どうしたの?どこか行くの?こんな時間に」

部屋の掛け時計は九時を指していた。

「すまん、学校に書類を忘れた。取りに行ってくる。帰ったら食べるよ」

不満げな表情のアスミの肩に、僕はポンと片手を置いて

「行ってくる」

と言った。アスミはこうすると、どんな時でもちょっとはにかんだ顔をする。
それを見ると、僕は「この女は俺が好きなんだろうな」と、昔から思う。






止めたばかりの車を出しながら、僕は急いでコピーを取り出した。
折り畳まれたり広げられたりして、紙はすっかりシワだらけになっていた。
この市の中心街に目星をつけ、僕は急いだ。

駅前のコンビニの駐車場に止まり、急いでコピーから名前を拾い、番号を押す。
何回かコールして、由菜がやっと出た。


「もしもし」

未登録の番号のせいか、由菜の声は不審そうに響いた。

「上田さん?皆川です」

「あ、、、、、はい。」

由菜の顔が動いているのか、どこかを振り向いたように声が遠のく。

そばで誰かの声がする。男の声だ。

しかし、園田の声ではない。かと言って、高校生の声ではない。

「ちょっと科目のことで聞きたいことあるんで、明日始業前に僕のところに来てもらえませんか」

「あ、、、、はい。」

「それから」


僕は声が漏れないように、静かに付け加えた。


「よく聞きなさい。
このまま電話を切らないでどこかにしまいなさい。
切ったフリをしてください。
・・・わかりましたね」


由菜は「えっ」と言いかけて慌てて抑え、

「はい。それでは明日の朝ですね。はい。それでは・・」


ガサガサ音がして、バッグの中かどこかに携帯をしまったらしい。

僕は携帯を頭に押し付け、耳を澄ました。

遠くくぐもるように会話が聞こえる。


「なに?誰からだって?」

大人の男の声がする。聞き覚えが無い。

チカチカとウインカーの音がかすかにした。車の中らしい。

「担任の先生でした」

「えっ」

男の声が不安げになる。

「今ごろの時間に、監視みたいでいやだねえ。デート中だってのに。
僕なら絶対生徒にそんなことしないよ。」

「はぁ・・」

なんだか由菜の声がぼんやりしている。
具合でも悪いのだろうか。
男はうちの学校の教師なのか?


「なんか話があるから明日の朝職員室に・・ってお話でした」

「ふうん。女の先生?」

「男の先生です」

「なんて名前?」

「えっと・・・皆川先生です」

「ふーん。知らないなあ。僕は交流試合で何回か行ってるんだけどな。」

「はぁ」


由菜の間延びしたような声は、僕が聞いてることすら忘れかけているような曖昧さである。
もしかしたら、酒でも飲まされて眠いのかと、僕はぞっとした。

「あの・・・私もう帰らないと・・・」

「えぇ?まだ九時過ぎだよ?・・ねえ、もう少しドライブしようよ。いいでしょ?」


男の声は馴れ馴れしく、園田のあけすけさとは異なる冷酷な響きがある。

「え・・・でも・・・・・・・」

由菜は今にも眠りこけそうな声になった。

僕は焦った。
もう少し情報がないと、彼らがどこを走っているかもわからない。


「この先にさぁ。城址公園があるでしょ。あの辺ちょっと散歩でもしない?」

「・・ぁ・・いえ・・でも・・・」

ガサっと音がして携帯の位置が変わったのか、声が遠くなった。
僕は焦燥感と腹立たしさに頭をかきむしった。

由菜はそのまま黙り込んでしまった。
後ろにもたれて眠ってしまったらしい。

「おやおや・・」

含み笑うような男の声が遠くに聞こえた。



と、その時、電子音のような妙な音楽が流れた。
僕ははっとして急いでエンジンをかけた。
城址公園の北側の、信号の合図のへんてこな童謡だ。
携帯を助手席に置き、録音スタンバイにした。

ようやく裏門のパーキングに着く。
奥は桜の並木道が沿うお堀になっている。
そこは、由季菜と僕の思い出の多い場所であったが、そんなセンチに浸る場合では無かった。

街灯の明かりを頼りに目をこらすと、並木沿いにデートや散歩らしい車が何台か止まっているのが見えた。
僕は車を止めてまた携帯を耳に当てた。

と、いきなり妙な雑音が入った。
僕は慌てて録音ボタンを押した。

「痛っっ!・・・な・・やめてくださいっ」

「うん、いいからね、じっとしててね。いい子だから」

「嫌です!・・なにを・・・」

車を降りて必死に走りながら、僕は人気のある車を探した。
並木道の終わりのあたりに、大きなRV車があった。
中で人の影が動いているのがわかる。

早足で斜め後ろの木の陰から近づきながら、僕は財布から一枚名刺を取り出す。

心臓が飛び出るほど脈打っていた。

そのくせ、頭の中は不思議に冷静だった。

車の右のドアに近づき、僕は薄明かり越しに由菜の顔を確かめた。
なんだか変な巻髪になっているが、僕にはすぐに彼女と判った。

こぶしで窓を強く叩いた。
男がはっとした様子で振り向いた。
確かに何回か見たことのある顔をしている。
男は怯えたように僕を見つめている。
僕は名刺を窓にぴたりと押し付けた。
男は戸惑ったように目を近づけてそれを眺めていた。

ドアを開けて男がゆっくりと降りてきた。
背の高い、屈強な、冷たそうな男だった。
それなのに、ひきつった顔で笑ってみせる。

「こんばんは。ご苦労様です。A学園の皆川先生ですね」

「お宅は?」

僕は油断せず身構えて聞いた。

「ああ、僕はC高の加賀と申します。いつもテニス部の試合の時お世話なってます。」

加賀と名乗った男は、愛想笑いを浮かべて僕に頭を下げた。

「いやぁ、試合の打ち合わせで園田君と食事してましたらね、お宅の学校の生徒さんがふたり見えて。
部活の話をしてましたらちょっと遅くなってしまいましてねえ。
申し訳ないし何かあったらいけないので、送ってあげようとしてたんですよ」

「なるほど。」

「ところで、先生は見回りかなんかですか?」


しかしよくこれだけベラベラ嘘が吐けるものである。
助手席に目をやると、由菜が不安そうな顔をしてこちらの様子を見ている。
僕は運転席に顔を突っ込んで、

「上田さん、ここからは僕が送るから降りなさい」

と告げると、由菜は頷いてバッグを抱きしめて降りてきた。

「ああ、それがいいですね。僕も安心しましたよ」

こんなとこに連れ込んでおいて、この男は一体何を言っているのだ?

僕はひそかに奥歯を噛みしめた。


「教師やってると、生徒は他校の生徒でもかわいいもんですよねえ。先生」

加賀はまた愛想笑いを浮かべ、

「それじゃあ、僕は失礼しますね。上田さん、気をつけてね」

由菜は話し掛けられると、加賀を上目遣いで睨んで僕の後ろに隠れた。


僕は一瞬、加賀の乗り込む後ろから思い切り蹴飛ばしてやりたい衝動にかられた。
それを察したのか、加賀はからかうようにエンジンをかけながら僕を見下ろした。

「加賀さん」

僕は加賀の目を見つめたまま静かに言った。

加賀は笑顔でパワーウィンドを下ろす。

「さきほどまでの車内の様子、録音して置きましたので。」

「え」

加賀はポカンとして目を泳がせながら何か考えていた。

僕は由菜の背を押して歩き出した。

「振り返っちゃだめだよ」

小さく囁いたが、由菜はチラチラ加賀の方を見ている。

「行っちゃったかな?」

「こっちを見てます。。」

由菜は声を震わせた。

「いいよ。どうせ何もできやしないよ。」

「はい・・」






車に乗ると、由菜はやっとほっとしたのか、そっと袖口で涙を拭いていた。
化粧して今風の短いスカートを履いている。
この子でもこんな格好をするのかと改めて眺めた。

「上田さん、怖い目に遭ったね。何もされなかったかい」

「はい・・手を掴んできただけです。。」

由菜はバッグを抱きしめて体を震わせた。


「怖かったろう。間に合わなくてすまなかったね」

「いえ、先生が来てくれなかったら私・・」

由菜の目から大きな涙がこぼれた。



「あの人。どうなるんですか」

家の近くまで来ると、由菜は安心したのか心配そうに言った。

「まあ上田さんはもう今夜のことは忘れなさい。
学校やおうちの人には僕から話す。
君はどう見ても巻き込まれただけなんだから、何も心配しなくていい。」

そう言ったが、由菜は厳しい家庭なのか、何か考え込んで顔を曇らせていた。

「あ・・」

「なに?」

「私・・道順言ってなかったですが」

家の前に着いてから由菜は不思議そうに僕を見た。

僕はカーナビを指差して笑い、車のドアを開けた。

玄関のチャイムを鳴らすと、由菜の祖母が出てきた。
祖母は僕が由菜と立っているのを見て驚いて深くお辞儀をした。

「上田さん、由菜さんは今夜とりあえずゆっくり寝かせてあげてください。
詳しいお話は自分が。」

祖母はいぶかしげに由菜と僕の顔を見比べていた。






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