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桜風 第四章 3 (by 麻那一睡)
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- 2007/10/08(Mon) -
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放課後、職員室で課題を作っていると、芸術科目講師の森がやってきた。
森は都内の大きな書道専門学校の古い師範である。 もう60を越えた禿頭の老紳士だが、髭の生やし方から生徒たちには影で仙人爺と呼ばれているらしい。 それは別に老師範を揶揄したものではなく、その浮世離れした風貌にある種尊敬の念をこめているのだろう。 「皆川先生、開校記念日の時に書を書いた上田という生徒、確か先生のクラスの子でしたよね。」 「はい。どうかしましたか」 「実は書道部で今度公募に全員出品するんですが、あの書を一緒に出してみてはどうかと思いまして。聞けば上田流の正統な後継という話ですし、そんな生徒がこの学校にいるのは素晴らしい縁ですからね。」 「ほう。それは。」 「上田流の書には自分は詳しくないのですが、聞けば先代の正太郎師はこの学校で教えていたそうで。その師は上田由菜の祖父ということなのですか」 「はい。しかし、今は病気で書はもう書いていないそうですよ。介護施設にいるそうです。」 「ううむ、そうでしたか。で、正太郎師の後継は?」 「娘がひとりいたのですが、若い頃亡くなったそうです」 「すると、上田由菜がこれから流派の唯一の師範というわけですか」 「よく知りませんが、多分そういうことなんだと思います。」 「今はもちろん弟子は取ってないのでしょうね」 「弟子も何も、本人はあまり継承するのにすら乗り気ではないらしいですよ。」 「それはもったいないことですな」 「そうですね。しかし本人の意思が大切でしょうから、やむを得ないのでは」 「いや、他の家業ならいざ知らず、文化財的な価値のある流派の継承はある意味子孫の義務なんですよ。病気などがあれば別ですが」 「実は上田は目と足に少し障碍がありましてね。経営や芸術活動には少々難しい面があるのかもしれません。」 「なるほど、それは気の毒に・・・。それならば、稽古はどうしているのでしょうか。なんでしたら不肖自分が書道部で面倒を見させてもらいたいものですが」 「ブラスバンドに入っているから、それは嫌がるかもしれません」 「でしょうなあ。それにしてももったいない。そういうことなら是非結婚して子供を持ったら伝承しておいて欲しいところですな」 「そうですね」 「では出品のことだけ、本人に聞いておいてもらえますか。」 「わかりました」 森が立ち去ると、席に大原女史が戻ってきた。 「お疲れ様です」 と声をかけても、女史はむっつりと頷くだけだ。 あれから彼女はほとんど僕と口を利かなくなった。 まだ由菜とのことを疑っているのかどうか、上村女史にまで話を持っていったということは、やはり何か確信的な事実を知っているのかもしれない。 由菜自身が女史に相談したとしか思えない。 由菜はそんなにも僕のことが嫌なのだろうか。 僕の腕の中に素直に抱きしめられたのは嘘だったのか。 そんなに嫌ならば、何故キスを拒まなかったのだろう。 加賀に触れさせるのすら体を震わせて拒んでいた由菜。 だが、シュウヤという男には体を許したようだ。 由菜は、寄ってくる若い男にはどこまでも許す女なのだろうか。 いや、僕にはそうは思えない。 拉致されたりして、自棄になっているのだろうか。 僕にだけ許してくれたのではないのか。 ノートパソコンに向かって課題を打ち込んでいるふりをしていると、大原女史は黙ったまま部活に出るらしく職員室を出て行った。 ちょうど入れ違いに園田が入ってきた。 僕を見て珍しそうにしている。 常に資料室にこもっている僕がここに放課後長く居るのはあまりないからだ。 それは職員室での雑談や噂話が好きではないという理由もある。 案の定、園田は人がほとんどいないのを見計らい、早速僕のそばにやってきた。 「大原先生、ご機嫌ななめですね」 「さあ。知りませんが」 「例の甥の学生が死んでから機嫌が悪いそうですよ」 「・・・・・・」 「知ってます?彼女、どこかの金持ちの愛人してたらしいんですが、その男が病気になっちゃって、男の奥さんと揉めてるとかなんとか。」 呆れて黙っていたが、園田はとにかく誰にでも聞かせたいらしく、勝手にしゃべり続ける。 「甥の学生って、本当は彼女の隠し子なんじゃないかって評判ですよ。学生が死んでからすっかり性格暗くなってしまいましたからねえ。どうせ金持ちのパトロンとの子だったのでしょうねえ。愛人やってる内にどんどん年取ってしまったので、今更結婚も出来ないし、かわいそうなもんですね、そういう女の末路は。 そうそう、甥の学生って、先生のクラスの子の彼氏だったとか?世間は狭いものですねえ。 大原先生なんかね、何を勘違いしたのか、皆川先生とうちの生徒の誰かが付き合ってるとか言ってるらしいですよ?頭がおかしくなったんですかね?みんながそう噂してるんで、僕は皆川先生には妻子が居るし、そんなのはデマだろうって言って置きましたよ。日頃から皆川先生にはお世話になっているし。僕としては庇ってあげたいんですよ。わかります?」 園田はだんだん声をひそめながら好き勝手なことをベラベラしゃべりながら、用心深く僕の顔色を覗き込んでいた。 僕は気分が悪くなってきた。 思わず園田を怒鳴りつけたい衝動が湧いてきた。 しかし、職員室の隅では女教師が二人いて、何か打ち合わせしながらコピーを取っている。 少し離れた席では僕と同じように下準備をしている教師が何人かいる。 仕方なく園田の気が済むまで黙殺して仕事に励むことにするか。 と、思った時勢い良く引き戸が開いて、今度は木村が入ってきた。 園田は慌てて振り返って 「お疲れ様」 と言ったが、木村はそれを全く無視して僕の方を見ると、 「皆川先生。仕事がひと段落したら体育教官室に来てくれ」 と言い残し、再び勢い良く戸を閉めて去った。 園田はわざとらしく首を振りながら 「やれやれ。愛想の無い人ですね」 と、僕に同意を求めて来た。 僕は返事をせずノートPCの電源を落として鞄を抱えた。 園田は話し足りないのかしつこく追ってこようとしたが、不機嫌な僕の顔を見て、作り笑いをしながら頭を下げてどこかに行ってしまった。 どうせ奥の女教師二人のところへでも行って、同じ話をするに違いない。 何人が園田の話を本気にするか知らないが、まああの手の人間はきっとどこにでもいるに違いない。 体育館奥の倉庫上の教官室に行くと、木村は剣道着の生徒と話していた。 僕が入って行くと、生徒は飛び上がるように驚いて僕の方を見た。 そして僕に会釈をして走るように出て行った。 木村は表情を変えず僕に椅子を出してきた。 生徒の様子からして、話の中身はどうであれ、明らかに僕が来たことに動揺していた。 木村のことが好きなのかどうか。 しかし木村の方は何も気にもしてはいないようだ。 「剣道部の二年生だよ。今度部長になる」 木村は冷蔵庫から麦茶を出して僕の前に置くと、自分もカップに注いで音を立てて一気に飲み干した。 そんなエネルギーに満ちた木村を、僕は好ましいものと長いこと思っていた。 だが、その精力で木村は僕の知らない顔を保って生きているのだ。 「何か用事か?」 「園田に捕まっていたようだったんで呼んだ。」 「ほう」 木村は窓に寄った。 倉庫上のこの部屋からは、体育館全体が見下ろせるようになっている。 部活中のバレー部の掛け声が響き渡っている。 体育館に繋がる渡り廊下の先には武道場があり、剣道部が稽古をしているのが見えた。 階段を下りたさっきの生徒が、小走りに渡り廊下に向かっていた。 紺の袴と白の道着の上にポニーテールにした髪が踊っていた。 木村は無表情のままその姿を目で追っていた。 「なかなか美しい生徒だったな」 僕が言うと、木村は笑った。 「お前がそんなことを言うとは、今日はどうかしたのか」 「別に普通に思っただけだ」 「剣道着の女子は皆綺麗に見えるものなんだ。スポーツをしている人間はみんなそんなもんだ。」 「そうかもしれんな」 「実は用件はあるんだ。職員会議でも言ったんだが、当番制で繁華街の巡回をすることになったのだ。」 「ああ、そうだったな」 「一応、個別ごとの店にはお知らせみたいなのを配っているところなんだが。今週末から俺が周ることにしている。土日は当番に入れない先生が多いからな」 「ご苦労だな」 「この週末、駅前の東側に行くんだ。お前も一緒に来ないか」 「俺が?」 「うん。今回だけな。行くのは裏通り一帯の店だ。プリントを渡して簡単に店主に話をするだけだ。」 シチリアーノやジュンのバイト先がある通りだった。 まさか、早くも加賀のところに乗り込む気なのか。 僕を連れて行ってどうする気なのだろう。 遠野のバイトの件も気になる。 木村は遠野のことを学校に報告する気なのだろうか。 考えていると、木村はすぐ見透かしたように、 「お前のクラスの遠野のことだかな、本人に話を聞いたら、込み入った事情があるらしいし、まもなく辞めるようだから一応不問にしておく。 ただ、円満に辞められるようにお前からもオーナーに話してくれ」 「なるほど、わかった」 「オーナーにはアポは取ってある。日曜の午後は居るらしいので、3時頃に行く。2時頃から順に巡回するから、駅前に直接来てくれ」 「構わんが、学校の了承は取ってあるんだろうな」 「生徒指導部で巡回する件は校長に話してあるし、お知らせのプリントも了解は取ったよ。警察署にも巡回する日時は教えてある。県のPTA連合会と県の生徒指導部会でも申し合わせがあるから、他校の生徒だとしても不審な生徒は見つけ次第個人的に知っている補導員に連絡するよ。」 「相変わらず手回しがいいんだな」 「まあな」 部活に出るため着替えに行く木村と別れ、そのまま職員昇降口に出た。 車を出して校門を出てすぐ、遠野と由菜が並んで歩いているのが見えた。 何を話しているのか、二人も笑いながら楽しそうにしている。 僕にはあんな風に笑ってくれることはない。 そのまま通り過ぎながら、僕は安堵したような寂しいような、妙な鬱積を感じていた。 次の日曜、アスミはカルチャーセンターの仕事があるので帰れないと伝えてきた。 朝起きると、ジュンはすでに僕の朝ご飯を用意し、新しく買ったらしい服を着ていた。 新聞を読んでいると、コーヒーを淹れて出してくれた。 トーストとサラダの朝食はとてもおいしかった。 ジュンはすっかり炊事が板についている。 手早くキッチンの後始末をしながら同時に歯を磨いていた。 そういえば、バイト前に店で由菜に会うと言っていたのを僕は思い出した。 聞こうかとも思ったが、からかうような気がして黙っていた。 部屋に戻ったかと思うと、バックパックを背負って出てきて、ジュンはさっさとスニーカを履いていた。 「おい。もう行くのか」 驚いて声をかけると、 「うん。今日は山根先輩の仕込み手伝うことにしたんだ。いつもどおり8時には帰るよ。」 「気をつけて行けよ。朝飯ありがとな」 「うん」 振り返りもせず生返事をして、ジュンは出かけていった。 今日、巡回で行くことを話すのを忘れていたのを思い出したが、特に言う必要もないかと思って僕は改めて新聞を広げた。 考えたら、加賀にまともに会うのは久しぶりな気がした。 先だって由菜を探していた時に見た加賀は、由季菜そっくりの姿をした由菜を見て、顔色を変えていた。 あの加賀に似つかない、慌てたような殴られたような様子は、やはり由季菜の死に何か関係していたという証であるのかもしれない。 加賀は、木村のことを憶えているのだろうか? 2時に駅前の駐車場に着き、木村の携帯に知らせるとすぐにやってきた。 「早く着いたからもうあらかたまわってしまったよ。後はシチリアーノという店に行くだけから、これから行くがいいか」 「これからすぐにか?」 「うん」 「木村、お前、加賀に何かする気じゃないだろうな」 「加賀?あそこの店のオーナーか。よく知っているのか」 「少しな」 「それなら話が早いな。何かするって何のことだ?」 木村はとぼけていた。 僕は何か言おうと思ったが、ここで昔の話を出すのも意味が無い。 先に立って歩き出した木村の後に続いて裏通りに入った。 木村は木刀こそ持ってはいないが、テナントの裏まで来るとだんだん表情が険しくなってきた。ビル裏には、加賀の大きな外車が停まっていた。 僕はなんだか嫌な予感がした。 香取の話では、加賀のバックについている政治家の失脚が近いという。 ぐすぐすしていたら高飛びするだろうと言うことだった。 薬の売買など足がついたらまずいことが多々あるらしい加賀は、警察と関わるのが最も恐れることなのだろう。 僕は加賀に対して何か行動を起こすには、まだ時期ではないと感じていた。 恫喝したりしたとしても、加賀の性根が変わるとはとても思えない。 僕にできることは、由菜に関わることを止めるくらいのことだろう。 昔のことはこの際別にして。 しかし、木村はそうは思っていないのは間違いない。 大学まで追っていって加賀を半殺しにしたという噂は、果たして実際の話かどうかすら、僕にはわからないし、確かめようもないことだ。 木村に聞いても、正直にありのまま話してくれはしないだろう。 隣の裏口から、あの山根という青年が顔を出した。 ゴミ捨てに来たらしく、手に袋を持っている。 僕を見て頭を下げたが、木村の様子を見て急いで店の中に戻っていった。 その時、僕らが入ろうとしたシチリアーノの裏口から、加賀が出てきた。 僕を見てちょっと驚いた顔をした。 後ろに誰か居るようだったが、加賀は慌てたように自分だけ外に出てきた。 「オーナーの加賀さんですか。」 加賀は急に思い出したように作り笑いをした。 「ああ、A学園の生徒指導の先生ですね。」 そして僕の方を向いて「どうも。」と、ぞんざいにあいさつした。 僕はドアの中に人を隠した加賀の様子が気になった。 「ちょっとお時間よろしいでしょうか。お約束しているはずですが」 木村は、静かに言ったが、目が少し血走ってきたのを僕は見逃さなかった。 加賀もそれに気づき、妙な顔をして木村を見上げていた。 「店の中がちょっと取り込んでましてね・・・」 加賀は相変わらず作り笑いをしながら言ったが、木村は無表情のまま裏口のドアを見た。 「構いませんよ。店の中でお話させて下さい。それとも、何か都合が悪いことでも?」 「いやいや」 加賀は慌てて顔の前で手を振った。 そして、観念したようにドアを開けて中を覗いていた。 次に僕らを招き入れた時には、そこには誰も居なかった。 厨房では仕込みをする従業員が何人かいるだけだった。 どこに居るのか、遠野の姿も見当たらなかった。 加賀について奥に行くと、この間のカミーユ・ガーデンの応接室のような簡素な部屋があった。 進められて黒いソファーに木村と僕が座る。 加賀も向かいに座ったが、木村の顔色を伺うように卑屈に笑みを浮かべていた。 木村は鞄からプリントを取り出し、テーブルの上に置いた。 加賀はそれを頷きながら眺めていた。 次に木村は名刺を取り出して差し出した。 僕も真似をして急いで名刺を出した。 「A学園生徒指導担当主任をしている木村遼と申します。」 僕も続けて言おうとしたが、加賀がさっと顔色を変えるのを見て口をつぐんだ。 「初対面ではありませんね。加賀さん」 木村の声が静かな部屋の中に響き渡った。 加賀はいきなり立ち上がってドアの方に走り寄った。 木村は徐に追ってその肩を掴んだ。 「どうなさいました?顔色が悪いようですが。どちらへ行かれるのですか?」 「ちょっと体調が悪いので・・・」 加賀は声を震わせながら無理に愛想笑いをした。 が、木村は加賀の肩を掴んだまままたソファーに座らせた。 どすん、と座らされたまま、加賀は途方に暮れたように木村を見上げていた。 「さて」 木村はまた僕の隣にゆっくり座ると、僕の方を示して、 「こちらは皆川先生とおっしゃってね、G高出身なんですよ。加賀さんは僕らの先輩ということになりますね。」 「・・・」 木村の横顔を見たが、落ち着いた声とは裏腹に、まるで剣道の試合の時のような眼をしている。 僕はどうしたものかと思ったが、もう成り行きを見ているしかないのだった。 加賀は落ち着きなくスーツの胸元を探ったりしている。 携帯でどこへやら連絡しようとしているのかもしれない。 「加賀さん。妙なことはしないで下さいね」 「そっちこそ何がしたいんだ?木村リョウ。」 加賀は喘ぐように呟いた。 木村は立ち上がり、加賀の後ろに回ると胸の裏ポケットから携帯を取り出した。 加賀は抵抗しようとしたが、体を抑えられて動けなかった。 「加賀さん、しばらくですねえ。」 木村は不敵に笑いながら背後から加賀の両肩に手を置いていた。 加賀は顔を引きつらせて黙っていた。 そういえば、ドアの影に隠れていたのは、一体誰だったのか。 小柄に見えたので、もしかしたら女だったのではないだろうか。 その時、ドアの向こうで何か話し声がした。 僕は立ち上がり、細く開けた。 「やはり」 と、思った。 そこには由菜が立っていた。 後ろには店主らしい中年の男が困った顔をしていた。 「先生」 由菜は僕を見て驚いていた。 かわいらしい青いワンピースを着ている。 午前中はカミーユに居たはずだが、どうしてここに居るのだろうか。 「オーナーは忙しいから今日は帰るように話したのですが。」 と、店主は申し訳なさそうに言った。 すると、部屋の奥を覗いていた由菜が、突然僕の横をすり抜けて中に入ってきた。 僕は止めようとしたが、店主は困った顔のまま忙しそうに厨房の方に戻ってしまった。 急いで振り返ると、加賀も木村も立ち上がって由菜を見ている。 由菜は僕のそばに立ったまま、ふたりを眺めていた。 「上田」 木村は由菜の前に走り寄った。 「どうしてここに?」 「えと・・・ギャラリーの展示のことで加賀さんに用があって。」 「そうか。今日は生徒指導の巡回で皆川先生とここに来ているんだ。今日は帰りなさい。」 木村の声は急にトーンが下がり、穏やかに笑いながら由菜の肩をぽんぽん、と叩いた。 由菜は僕や木村の顔を見比べていた。 すると、加賀が突然、 「ゆ・・・由季菜さん。あ・・・」 と叫ぶと、部屋の奥に後ずさりした。 驚いていると、加賀は尚も首を振りながら 「すまない。・・・本当に・・・そんなつもりじゃなくて・・・どうしてこうなったのか」 と、意味不明のことを言い続けた。 気でも触れたのかと思っていると、木村は再び血相を変えて加賀ににじり寄った。 襟首を掴むと、由菜がいるのも忘れたように加賀を力任せに揺すった。 「おい! 貴様、やっぱり由季菜さんが死んだ場所に居たんだな?」 「いや・・・俺は知らない・・・彼女が勝手に落ちたんだ・・・」 「嘘を言うな!」 「ほ・・・本当なんだ・・・俺は落としたりしていない・・・」 「お前が追い詰めたんだろう?お前が由季菜さんを死なせたんだ!」 「違う・・・俺じゃない」 「女を平気で強姦するようなお前の言うことなど信じられるか!」 「おい、木村!もうやめろ!」 言葉を失ってすくんでいる由菜の肩を支えて僕は外に出そうとしたが、由菜は僕の手を振り解き、何かに憑かれたようにふらふらと加賀と木村の方に向かっていく。 「加賀さん・・・そう・・・やっぱりあなただったのね・・・私を殺したのは・・・」 「上田?上田!しっかりしろ!外に出るんだ!」 僕は叫んだが、由菜はソファーで腰を抜かしたようにしている加賀に向かってかがみ込み、あたかも木村が見えないように顔を近づけた。 「加賀さん・・・あなた私のこと強姦したのね?そうなのね?」 「由・・・由季菜さん・・・許してくれ・・・俺は・・・」 「加賀さん・・・あなたのおかげでね、どんなに私の人生が狂ったと思う?本当に・・・おかしくなるほど狂っちゃったのよ?ふふふ・・・」 「す・・・すまない・・・許してくれ・・・」 「加賀さん・・・今ごろ謝ってもみんな遅いのよ?あなたの人生も狂わせてあげたいわ・・・ふふふ・・・」 木村は加賀の襟を掴んだまま呆然と由菜を見ていた。 由菜は狂ってしまったのか? すると、不意に加賀は笑い出した。 「ククク・・・狂わせるだと?俺の人生を?・・・由季菜さん、笑わせてくれるじゃないか。君は付き合っていた彼氏を捨てて、この木村リョウの子を産んだようなアバズレ女じゃないか?どうせ何人とも寝てたんだろ?俺ひとりレイプしたところで、何も減りはしないだろ?」 加賀はゆっくり木村の腕を解き、立ち上がると由菜の腕を掴んだ。 「ねえ?お互いクズなんだから仕方ないじゃない・・・死んでからも俺に抱かれたくて来たんだろ?ククク・・・」 何が起こったのかわからない。 その時、僕の中の何かが唐突に噴出した。 気がついた時、僕は加賀の上に乗り、首に手をかけていた。 加賀は茶色い顔をして僕を鬼のような顔で睨みつけながら苦しんでいる。 由菜の声が聞こえた。 木村が何か怒鳴っている。 次の瞬間、僕は頭に横から凄まじく熱い衝撃を感じた。 床に転がった僕がやっとのことで起き上がると、木村は加賀を掴んで起こし、長いソファーの上に横にしていた。 加賀は苦しげに咳き込んでいる。 ドアが少し開いていて、店主が恐々覗いていた。 漸く回りだした頭を巡らせ、僕は歯軋りしてうめいた。 木村に殴られた頭の横ががんがん痛んだ。 人に思い切り殴られたのは、生まれて初めてだな、と、僕はぼんやり考えていた。 由菜の声がした。 由菜は泣いている。 倒れている僕の胸にすがり、声を上げて泣いていた。 「あのう・・・」 店主が入ってきて、加賀の様子を覗き込みながら困惑していた。 「お騒がせして申し訳ない。もう帰ります」 と、木村が我に返ったようにいつもの顔で言った。 「はあ」 やっと起き上がった僕を由菜が支えてくれた。 木村はぐったりしている加賀に何やら言っていた。 裏口を出ると、店主は声をひそめて、 「いやあ、どうせうちのオーナーが何かやらかしたんでしょう。 まあいつものことですので・・・。しかしこれっきりでお願いします」 と、申し訳なさそうに言った。 駅前の駐車場に着くと、木村は僕のカギを受け取って僕の車のドアを開け、後ろの座席に乗せた。 「殴ってすまなかったな。フラつくだろうが、本気殴りじゃないからちょっと休めば治る。このまま少し横になってそれから帰れ。 上田は俺が家まで送ってやるから安心しろ」 僕は横になりながら頷くしかなかった。 由菜が鼻を啜り上げながら心配そうに僕を見ていた。 目を閉じていると、間もなくエンジンがかかる音がして、木村の車が走り去っていった。 |
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